健康のために運動しよう。健康のために食生活に気を付けよう。健康的に○○しよう。
憲法25条にも「健康で文化的な最低限度の生活を~」とあります。
大学や専門学校の学部にも健康○○学部というのが昔と比べて増えてきています。
テレビをつけても、毎日1回は「健康」というワードを目にすると思います。
1回どころか健康番組・通販の商品だらけ。
健康の定義
健康とは何でしょうか。
病気をしていないことでしょうか?
障がいが無いことでしょうか?
いくつになっても介護なしで生活できることでしょうか?
長生きすることでしょうか?
正解は……
「どれも正解かもしれないし不正解かもしれないし、不十分でも十分でもあります」
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
(関西弁訳:健康ってな、病気してへんとか、弱ってへんってだけやなくて、肉体的、精神的、社会的に、全部満たされてる状態のことやで)
つまり、心も体も社会的にも満たされてたら別にちょっとくらい病気やったり、体弱っててもええやん。
肉体・精神・社会的に満たされているかどうかも、人それぞれ。
大事なんはバランスやでってことです。
なので、全部完璧ってよりは調和の取れた状態が健康と言えると思います。
WHOは神様でも仏様でも人間を創った人でもないので、これが絶対の真理ってわけではないと思います。
でも言っていることは的を得ていると思います。
自分なりに健康を考えてみる
もうちょっと健康を自分なりに考えていこうと思います。
ここからは個人的見解を含みます。
・健康は病気の有無や弱っていることだけで判断するものではないこと。
・肉体だけでなく、精神的にも社会的にも満たされている(調和がとれている)ことが健康。
この2点はWHOが言っているので分かってもらえたかと思います。
そして、ここで「曖昧さ」や「定義できないもの」が出てくるはずだと思います。
それは「満たされている状態が1人1人違う」からです。
①肉体的
肉体的に満たされているかどうかを考えていきます。
例えば、何らかの理由で歯が数本抜けたとしましょう。
*歯科医ではないので実際の治療がどうかは知りませんがお付き合いください。
ある人は、これは大変だとすぐ歯医者に行って最新の治療を受けてほとんど元の状態と変わらないくらいにしてしまいます。
この人にとっては歯が完璧で無い状態が肉体的に満たされず不健康な状態だから、何とかしたかった。
またある人は、高い治療を受けなくても前よりちょっと噛みにくいけど銀歯でいいやと考えます。
前より見た目は悪いけど、ごはん食べれるからいいやって。
この人は銀歯で満たされています。
またある人は、まぁ歯がちょっとくらい抜けても死ぬわけやないし、食べれるし、もういいや。
歯が無くても、この人はこの人なりに満たされています。
たまにいますやん、満面の笑みでしゃべりかけてくる歯抜けのおっちゃん。
他にも生まれつき歯がみんなより少ない人がいたとします。
でも、長年それで生活してきて、何とか物も食べれて、それが当たり前の状態。
別にこれでいいやって満たされている。
生まれつき歯がみんなより少ない、これはとっても悲しい。
不自由している。何とかしてみんなと同じ本数にしたい。というわけで、代わりの歯を移植する人がいたとします。
この人にとっては歯がない状態が満たされない不健康な状態だったのです。
つまり、肉体的に満たされているかどうかはその人によります。
お医者さん的には歯を治療した方が良いのでしょうが、治療に通うこと自体がストレスになれば、たとえ歯が治っても「精神的」に満たされているとは言えない(歯の治療ぐらい我慢しろってツッコミきそうですが)。
治療に通うくらいなら、何本か歯が無くてもいいや。
無いなりに私はやっていく。
それはそれで健康だと思います。
満たされているかどうかは、その人自身に基準があるのであって、他の誰かが勝手に「不健康だ」と決めるものではないと思います。
生死に関わる大きな病気であっても、「治療しなくてもいいや、余生を好きに楽しく過ごすわ!」って人もいます。
彼らは病気こそ抱えているものの、「健康」と言えます。
なぜ?
健康=病気でないこと ではないからです。
大病で体がしんどいことだけが「満たされるかどうか」の基準では無いからです。
②精神的
精神も、肉体とは基本的に同じように考えます。
人それぞれ考え方や置かれた状況は異なります。
周囲から見たら小さなストレスでも対処することが難しくて、その人にとっては大きなストレスってことがあります。
対処能力は人それぞれだから。
満たされるかどうかも、人それぞれ。
ちょっとしたこと(その人にとっては大きなこと)でも精神的に「満たされない状態」になる人もいれば、
心の病になっても「自分は精神的に満たされている」と思っている人もいます。
また、精神的に満たされるための基準も違います。
例えば仕事。
お金で満たされる人、地位や名声で満たされる人、やりがいで満たされる人などいろいろといます。
結局は1人1人が自分がどうすれば精神的に満たされるかです。
それが心の病を克服することなのか、ストレスの少ない環境に行くことなのか、ストレスに打ち勝つ力をつけることなのか。
はたまた、なりたい自分や、欲しいものを手に入れることなのか。
③社会的
社会的に満たされる。
これも難しいですよね。
何か困った時に助けあったり、団結できる社会的なシステムが自分にはあるのか。
社会の中で役割を持っていたり、自立できていることなのか。
もっと身近なところで言うと、なんでも相談できる友人や相手がいるのか。
これも人それぞれ多種多様すぎて定義しきれないと思います。
極端な例ですが、
助け合って生きてこう、社会保障あった方が良いでしょ、社会で何かするチャンス上げるよ!って言っても
「いや、俺は山奥で1人サバイバルで生きていきたい!誰とも関わりたくない」って人もいます。
そう考えると、「社会的に満たされる」と言うのは「自分が置かれたい環境・状態に、自分がいれるか」ということかなって思います。
自立したいのにできない、認められたいのにできない、そういった時に「満たされない」が起きます。
一方、認められたいと別に思わないし認められていない現状に不満は無く、自分なりに好きにやっていて「満たされている人」はそれはそれでその人にとっての「社会的な満足」だから良い気がする…。
スピリチュアルも健康の定義に加えられかけたらしい
その宗派の良し悪しはここで問いませんが、宗教に入っている人は幸せな人が多いそうです。
信じるものがあると、嫌なことや苦難があっても精神的に満たされやすいみたい。
何か良いことがあっても感謝の気持ちを持ちやすいのもある感じがする。
だから、心が弱った時に怪しい宗教に引っかかったりするのでしょうか…..知らんけど。
海外では日本に比べて多くの人が宗教を信じています。
それもあってかなかってか、WHOも健康の定義にspiritual (スピリチュアル)を加えようとしたことがあります。
メンタルとスピリチュアルは別物ですが、無宗教な人が多い今の日本では分かりにくいですよね。
僕も無宗教だから細かいニュアンスを説明しにくいです。
でも、無宗教でも日本人の多くが「お天道様は見ている」って感覚があると思います。
嫌なことを誰かにされても、「お天道様は見ている、きっとバチが当たるさ。」そう思うことでちょっと気が楽になります。
他にも「野球の神様」とか「トイレの女神様」とか、日本人は特定の宗教に入らずともそこら中に神様がいます。
ホームランが打てたら「ラッキーだった。野球の神様が見てた。」とか言いますよね。
スピリチュアルってそれに似ています。
「信じる者は救われる」ってことでしょうか?
健康って結局は何ぞや
考えれば考えるほど、わけが分からなくなってきました。
最終的にあれもこれも自分次第な気がしてきました。
人それぞれ、どうしようも治らないこと、どんなに頑張っても変えられないことだってあるし、元々与えられていない物もあります。
結局は自分が持っているカードの中でどう生きていくか。
自分がどうなりたいか(どうなれば満たされるのか)。
何に重きを置いていて、どうすれば調和がとれるのか。
どこで「もうこれくらいでいいや」と思えるか(欲望は永遠に続くから)。
こういったことが人それぞれ違うから、自分次第で今すぐにでも健康になったり不健康になったりできる気がしてきます。
現状に満足すればもう健康な気がします。
ですから、健康か不健康かは他人に決められるものではなく、自分にしか決めれないものだと思います。
テレビやCMでは、上手いこと煽ってくるので、あたかも自分が不健康かのように感じてしまいます。
でもそれは、CMを見ている時、自分が「不健康だ」と思ったから不健康なわけで、常日頃から思っていた悩みと必ずしも一致するわけでもなければ、それだけで健康か決まる物でもないと思います。
まぁこんなこと言っていますが、とりあえず病気とか嫌ですよね。