僕、実は水泳の指導者でありながら、トレーナーでもあります。それはとても自分にとってプラスになっています。というのも、トレーナーって体のことをめっちゃ勉強するんです。体という土台があって、その可能性を最大限に表現するのがスポーツ。水泳を教えるときに、水泳の技術だけでなく、体のもっと根本的なところまで目がいくようになりました。これは、おそらく水泳の指導だけを仕事にしていたら無理だっただろうなと思います。
体の仕組みがあっての水泳
体の仕組みがあって、それを水の中で上手に使いこなすのが水泳。
例えば、肩甲骨が泳ぎの中で使えない。
だから使い方を教える。
これは当然かもしれない。
でも、トレーナーという目線があれば、「何で使えないんだろう」
「どこに原因があるんだろう」
「使えるようになるまでのプロセスをどう伝えていこうか」
筋肉?骨?関節や皮膚の感覚?メンタル?神経?
あらゆる可能性が頭を巡る。
「もっと肩甲骨を使って!」
そんな声かけはしない。
感覚の調整で変化
他にも、体の感覚調整で泳ぎを修正したこともありました。
人間の体、そしてその表現である水泳。
それは必ずしも1つの要因だけで成立しているものではないと思います。
心、体、環境、その他様々なことが関係しています。
体1つをもっと分解するなら神経、皮膚、骨、内臓、脳、、etc。
決して筋肉だけではない。
運動だから筋肉が大きな役割をはたすことに間違いはないけれど。
いろんな可能性を考えていく。
調子の良し悪しへの冷静さ
人は常に絶好調でいれるわけではありません。
上述した様々な要素が複雑に絡み合っているからです。
もちろん絶好調に持っていく様々な努力はなされますが、100%というわけにはいかない。
結局は本番に蓋を開けてみないとわからないところは少なからず残るし、日々の調子に関しても、実際に生活したり練習したりしてみないことには確たることが言えない。
絶対的に波のある生き物で、、、というか何においても揺らぎとか波っていうのはあるわけで。
だからこそ、すごい力が出る時もあれば、とんでもなく悪い時もあります。
それが醍醐味でもあるのかもしれません。
なので、常勝と言われるチームや選手は本当に凄いと思うし、
全然体調も崩さず、メンタルも一定の人は凄いと思う。
それでも揺らぎから解放されることはないので、それは永遠に続くものではない。
あらかじめそういうものだと思っておくことで、調子の良し悪しに対しても冷静でいられるようになった。
波があって当然。
じゃあ少しでも、波をピークにしていくには?波を落ち着けるためには?
どうしたらいいんだろうと考えるようになる。
特に落ち込んだ時はそう。
波がまた動き出すのを気長に待つか、自分で向き合ってどうにかするしかない。
そのためのアプローチの1つとして自分のようなコーチとかトレーナーがいたり、治療家と呼ばれる人がいたりするようなしないような気がする。
でも、こんな風に冷静に思えるようになったのも、トレーナーとしての活動もできているからだと思う。
水泳だけを教えていた頃の自分では不可能だったと思う。
知らないこと
様々なことを知る、自分のものにする。
だからこそ余裕が生まれるんだなと思う。
例えば、レッスンをする中で、子どもに接する機会は多い。
水泳の指導をするのだからもちろんだ。
でも、水泳指導を始めたばかりの自分はどうだっただろうか?
発育発達についてきちんと学んでいただろうか?
これもトレーナーとしても活動し始めてからだ。
子どもが言うことを聞かない?
できない?
その時に前の自分ならどうしていたんだろう。
今は余裕をブッこいている。
なぜなら、何歳ぐらいに「できるようになるか」「人の話を落ち着いて聞けるか」「遊びではない何かを見出すか」
そういったことをもう自分は知っているから。
だからと言って、学ぶことは辞めない。僕がやめた瞬間に生徒さんたちの成長は止まる。