いわゆる発達障害とされる子たちも、レッスンに来てくださいます。そんな彼ら彼女らと関わっていて色々と思うところがあるので、書いておこうと思います。なお、「障害」は何をもってそう呼ぶかという難しい考えがあるので、以下発達特性と書きます。今までそんなことには興味も知識もなかったという方も、この機会に少し覗いていってください。面白いと思う。
僕が痛烈に感じたのは、この2つ。
1.発達特性を持たない人への指導がいかにやりやすいかということ
2.「運動」というのはとても高度なものであるということ
この2つがあるからこそ、進歩が見られた時のやりがいたるや、、、、、
「バタ足をしよう」
そもそも発達特性には色々ある。
注意欠陥/多動症(ADHD)、自閉症スペクトラム(ASD)、アスペルガーなどは有名。
それ以外にも、発達性協調運動障害(DCD)や学習障害(LD)というのもあるし、明確な診断はつかないけれど、発達に遅れがあったり、強烈な個性やこだわりを持っている場合もある。
もしもこれらの特性が、生物として淘汰されるなら、毎年のように一定数生まれてくるということは無い。
けれどもクラスに1人から数人、こういった特性を持った子がいると言われています。
石器時代の壁画にも、自閉症の人特有の描画の特徴が発見されたらしい。
何万年も前から特性は存在した。
ということは、これは障害ではなく、多様性と言うこともできます。
強烈なこだわりがあれば、精密な石器を作れただろうし、衝動的で多動的な人は狩りで獲物を見つけやすい。
特有の世界観で生きている人は、シャーマンとして活躍していたかもしれない。
そもそも「障害」かどうかを決めるのは、本人の要因と環境的な要因の組み合わせだ。
でも、現代の文明社会では支障が出てしまうことの方が多い。
テレビで取り上げられるような、「天才〇〇」とか「ギフテッド」なんてのは一握りだ。
さて、この子たちと泳ぎにいく時のことを話そう。
「バタ足をしよう」と僕が言うと、特性の無い子であれば、意図的にサボったり、余程やんちゃじゃ無い限りはスッとバタ足に取り組んでくれる。
でも、特性のある子たちはこの1つの指示を通すだけでも一筋縄ではいかない。
人とコミュニケーションをとるための本質的な難しさに直面する。
いろんなタイプがいるので、例を上げながら紹介します。
・いろんなことに気が散って、それこそ1歩進むたびにプールのいろんなもの興味がいってしまい、バタ足をするつもりだったことを忘れる。
・不安が人一倍強くて、新しいことへのチャレンジが極端に嫌。
・完璧主義で、できないことは最初からやらない。1度失敗すると次のチャレンジまで相当長い。
・「わかった!ちょっとこれやってから!」と言ってエンドレスでちょっと何かしている。
・口頭での理解が苦手なので、見本を示すが、見本を見ているときに別の何かに興味が行ってあんまり見ていない。
はい、いろんなタイプの子がいます。
こういう子にはこうすれば良いみたいなのもないです。
傾向はあれど、1人1人違います。
レッスンは1人1人がどうすれば興味を持ちやすくなるか、理解しやすくなるか、それを手探りで探すことから始まります。
1つの指示や要望を通すまでの道のりがとても長いのです。
発達特性のない子たちの場合は、指示はすぐに通ります。
大人なら尚更。
その上で、「何がダメなんだろう」「どうすればもっと上手く伝えられるだろう」という次元。
発達特性のある子の場合は、「そもそも話を聞いてもらうには」からスタートする。
泳ぎの技術などその後である。
逆を返せば、そこさえ掴んでしまえばある程度何とかな、、、、
らないんだよなあ。
情緒的な揺れも大きい場合があるので、不調の時はさらに難しい。
対応方法が日によって違う。
それでも、この子たちは時としてすごい力を発揮するのは事実。
こちらのサポートを振り切って、高い集中力を発揮し、自力でなんとしても泳ぐという強い気概を見せてくれる時もある。
バタ足をしながら息継ぎをしよう
発達特性のある子たちの多くが、「協調運動」というのが苦手です。
協調運動というのは、同時に複数の動きをすることです。
例えば、歩きながらスマホを操作するとか(気を付けてくださいね)。
なので、この子たちは自転車や縄跳びなどでつまずくことが多い。
自転車はハンドルを操作しながら、ペダルを漕いで、バランスを取る。
縄跳びはジャンプしながら縄を回して、タイミングを合わせる。
協調運動が発達してくるのは3歳児くらいからですが、発達に特性があるとそれが遅く、小学校になる年齢でも周囲の子と比べて苦手が多いです。
発達特性のある子たちと遊んでいると、走りながらボールを投げたりができない。
一緒にボール当て鬼なんかすると、止まってから投げるか、完全に追いついてボールでタッチするか。
私たちが普通にしている日常での運動は、思っているよりも高度なことなんですよ。
で、水泳。
もちろんこれも協調運動。
クロールなら、バタ足をしながら腕を回して息継ぎをして姿勢を保って、、、。
難しいと思います。
なので、レッスンでは1つ1つの動作が体に染みつき、何も考えずともできる「自動化」の段階にもっていく必要がある。
その後全てを統合していくというプロセスをとることが多いです。
バタ足だけ、息継ぎだけ、けのびだけ。
そして徐々に徐々に、バタ足しながら息継ぎ。
でもね、子どもによってはこの1つ1つの習得も人一倍時間がかかる場合もある。
発達障害は「脳機能の違い」と言われいる。
脳は神経細胞の集まり。
結局のところ全身の神経に性質的な違いがある。
だから感覚の過敏や運動機能の遅れが生じやすい。
あ、だから「なんでそんなにクネクネしてるんだ」とか「え、そこは力むんかーい」とか体の使い方的なところで驚きも多々ありますよ。
しかも前章のように、「そもそも話を聞いてもらうには?」「伝えるには?」を考えないといけない。
もちろん誰に指導する時もそれは考えるけれど、難しさのレベルが違う。
できた時はたまらなくやりがいがある
こういった大変さがあるからこそ、何か1つでも進歩があるとたまらなくやりがいがあります。
もちろん誰に何を教えていてもやりがいはあり、優劣を付けれるものではありません。
そこまでのプロセスが違うので、湧き上がる感情に明確な質的違いがあります。
だから贔屓とかは無いですよ。
それをしちゃうと、拗らせた逆差別的な利権大好き団体みたいなヒステリー教になるから(ボロクソかよ)。
伝わるかわからないけど、
そもそも自分は良くも悪くも「障害だから」とかいう感覚は持ってない。
自分の魅力や指導の力を底上げをしてくれる
行動としても予想がつかないし、体の動きも「まじか」ということがある。
だから、そのために自分も試行錯誤をする。
その結果、発達特性のある子たちへの理解も進むし、培った能力が他の人にも活かせる。
良い循環が回っている。
最後まで読んでくれてありがとうございます。